現在のような一般利用者に対してサービスを展開するようになった携帯電話の前身は、日本においては自動車電話です。
自動車電話は1979年(昭和54年)に、日本電信電話公社(現NTT)によってサービスが開始されました。
その後、1985年(昭和60年)の「通信の自由化」により、NTT以外の複数の会社が電気通信事業者となり、新規参入を始めます。
そして1988年(昭和63年)には、そうした新しい電気通信事業者が自動車電話などの移動体通信にも参入を開始しました。
それまで自動車電話やショルダー型の携帯電話といった、庶民には手の届かなかった携帯電話が、急速に現在のようにコンパクトかつだれでも利用できるようになったのは、こうした新規携帯キャリアの参入によるところが大きいと思われます。
当初、携帯電話サービスは、旧郵政省(現総務省)によって地域割りがされ、その地域内でサービスを行っていました。
その地域割りは、北海道エリア、東北エリア、関東甲信越エリア、東海エリア、関西エリア、北陸エリア、中国エリア、四国エリア、九州エリア、沖縄エリアでした。
そして、各エリアごとにサービス会社が存在するという形でした。
しかし、そのエリア内でしか使えないということになれば、一般ユーザーにとっては携帯電話という日本全国どこでも通話できるという利便性を享受することができません。
そこで、その各エリアごとのサービス会社間でローミング(相互乗り入れ)を行う必要性から、グループを組みグループが各エリアごとに会社を設立し、ローミングを行うことにより全国サービスを展開するようになりました。
1999年ごろまでの携帯電話サービス初期の頃のサービス提供グループと会社は以下のようになっていました。
エリア | NTTドコモグループ | DDIセルラーグループ | デジタルホングループ | ツーカーグループ | デジタルツーカーグループ |
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北海道地域 | NTT北海道移動通信網 | 北海道セルラー電話 | デジタルツーカー北海道 | ||
東北地域 | NTT東北移動通信網 | 東北セルラー電話 | デジタルツーカー東北 | ||
関東甲信越地域 | NTT移動通信網 | 日本移動通信(IDO) | 東京デジタルホン | ツーカーセルラー東京 | |
東海地域 | NTT東海移動通信網 | 日本移動通信(IDO) | 東海デジタルホン | ツーカーセルラー東海 | |
関西地域 | NTT関西移動通信網 | 関西セルラー電話 | 関西デジタルホン | ツーカーホン関西 | |
北陸地域 | NTT北陸移動通信網 | 北陸セルラー電話 | デジタルツーカー北陸 | ||
中国地域 | NTT中国移動通信網 | 中国セルラー電話 | デジタルツーカー中国 | ||
四国地域 | NTT四国移動通信網 | 四国セルラー電話 | デジタルツーカー四国 | ||
九州地域 | NTT九州移動通信網 | 九州セルラー電話 | デジタルツーカー九州 | ||
沖縄地域 | NTT沖縄移動通信網 | 沖縄セルラー電話 | デジタルツーカー沖縄 |
NTTが独占していた移動通信事業へトヨタ自動車が主体となった「日本移動通信(IDO)」と京セラと第二電電が主体となった「DDIセルラー」が第二グループとして参入してきました。
日本移動通信(IDO)は関東甲信越地域と東海地域、DDIセルラーはそれ以外の地域でそれぞれサービスを展開します。
次に、当時DDIセルラーにとって空白地帯だった関東甲信越地域と東海地域に対し、日産自動車が主体となり京セラと第二電電の出資のもと、それぞれ「ツーカーセルラー東京」と「ツーカーセルラー東海」が設立されました。
それに合わせて、日産自動車が主体となり関西地域に「ツーカーホン関西」が設立され、日産系のツーカーグループができあがります。
同時期にツーカーグループと同じ第三グループとして、日本テレコムを中心に「東京デジタルホン」「東海デジタルホン」「関西デジタルホン」の3社が設立され、デジタルホングループが形成されます。
そして、デジタルホングループとツーカーグループにとって空白だった地域に対し、今度はデジタルホングループの日本テレコムとツーカーグループの日産が出資し、「デジタルツーカー」を設立します。
これにより、NTTドコモグループ、DDIセルラーグループ、デジタルホングループ+ツーカーグループで大きく3つの全国サービス体制が出来上がりました。
しかし、日産自動車の経営悪化にともない、再編が行われました。
1999年に、日産が保有していたデジタルツーカー6社の株式をデジタルホングループの日本テレコムに譲渡し合併、デジタルホンは「J-フォン」に社名変更を行います。
また、ツーカーセルラー3社の株はDDIに譲渡され、資本関係はDDIセルラーグループとなりましたが、会社としてはツーカーセルラーとして、それまでの関東甲信越地域、東海地域、関西地域の3地域内においてサービスを継続し、それ以外の地域ではJ-フォングループとのローミングでカバーしました。
さらに、2000年には第二電電(DDI)、日本移動通信(IDO)、KDDの3社が合併し株式会社DDIとして発足します(2002年にKDDI株式会社)。
こうして、2000年にはNTTドコモ、KDDI(au)、J-フォン、ツーカーの4社体制となりました。
ツーカーはしばらくKDDI資本のもと、独自のサービスを行っていましたが、2005年にKDDIの完全子会社となり、2008年にツーカーの携帯電話サービスは完全に終了しました。
また、J-フォンも2001年にボーダフォンとなり、さらに2006年に現在のソフトバンクモバイルと続き、現在の携帯キャリア主要3社体制になったのは記憶に新しいかと思います。